(使用写真:彼方に : 作品情報 – 映画.com (eiga.com))
こんにちは、ユリイカです。 今回は、Netflix(ネットフリックス)で配信中の『彼方に(原題:the After)』ついてお話します。
【ストーリー】ある日突然、妻と娘を失う
(使用写真:Netflix Short ‘The After’ Depicts a Shocking Tragedy and a Father’s Grief – The Hollywood Reporter)
2023年10月25日から配信となった『彼方に』のストーリーはこちらです。
【あらすじ】18分の短編作品
【監督】写真家のミザン・ハリマン|デビュー作
本作の【監督】は、写真家のミザン・ハリマンです。
・ナイジェリア生まれのイギリスの写真家、起業家、社会活動家
・「ブラック・ライブズ・マター運動」でも知られる写真家の一人
・『VOGUE UK(イギリス版ヴォーグ)』の表紙を撮影した最初の黒人男性
(参考:Misan Harriman – Wikipedia)
本作は、ハリマンの小説を原作に、新人のジョン・ジュリアス・シュワバックが脚本を手がけました。
(参考:THE AFTER – Neon Films (neon-films.co.uk))
【第一幕】奪われた父親の日常
ここでは、主人公・ダヨ(娘の父親)の日常が壊れるきっかけの【通り魔事件】が描かれます。
【冒頭】妻との待ち合わせ → 妻と娘が通り魔に殺される(~3分)
ある日、父親と娘が町を歩いているところからストーリーは始まります。
娘はチュチュを着ていて、手にはバレエシューズをぶら下げています。
父親にダンスの手本を見せ、父親もそれに応えて…と穏やかな日常が描かれますが、
そこに猛スピードの自転車が通りかかります。
危うく轢かれそうになった父親は、考え込むようにしてから娘に問いかけます。
頷く娘の姿を見て、父親は職場の同僚に「会議を2時間だけ遅らせたい」と電話を掛けます。
その間に娘は母親を見つけ、家族3人が待ち合わせ場所で合流します。
夫婦で娘の発表会に行けることを母親も喜びますが、そこへ父親に電話がかかってきます。
相手は先ほどの同僚で、何か仕事でトラブルがあった様子です。
これに対応するため、父親は妻と娘から離れます。
そこへ突然、通り魔が現れます。
(娘を階下へ投げ落とし、母親も衝動的に後を追う)
こうして父親はある日突然、妻子を失います。
【第一幕からわかること】父親の人物像
ここまでだけでも、次のことが読み取れます。
・妻と娘を心から愛している
(だから妻と娘も男を愛している=発表会に行くのを喜んでくれる)
・多忙なせいで家族の時間がなかなか持てないでいる
(愛しているから、そのことに後ろ暗さも感じている)
【読み解くポイント①】通りかかる自転車
本作のストーリーは【通り魔事件】をきっかけに動き出しますが、
その前に【自転車のシーン】が描かれます。
【自転車】に轢かれかけたからこそ、男は「発表会に行こう(=会議を遅らせよう)」と考えます。
(もっと家族と一緒にいたかったと)きっと後悔をした。
※この後の展開を加味して “自分が” としましたが、”娘が” と読む余地ももちろんあります。
この【自転車のシーン】を挟むことによって、そのすぐ後に起こる【通り魔事件】をただの不幸ではなく【皮肉】にまで引き上げています。
【第二幕】日常の “外” で生きる父親
ここでは1年後に【通り魔事件】の犯人の有罪が確定したこと、父親の名前がダヨであり、ライドシェアサービスのドライバーとして生きていることが描かれます。
【主人公・ダヨの現状】家族が恋しい(~6分)
1年後の主人公・ダヨの【現状】は、留守番電話を通して描写されます。
※つまり、ダヨは転職している。
②区の危機管理課のジャスミーナ「訪問が不要なら連絡を」
※つまり、ダヨは行政=社会を無視している。
友人(≒前職の同僚)や、社会(行政)との関係を断って、ダヨは孤独な生活をしています。
しかし、完全な孤独とも違います。
ダヨの心は、あの日からずっと妻と共にあります。
主演のデヴィッド・オイェロウォの熱演は、ダヨがもう長い間、妻の声に微笑んだり苦しんだりしてきたことを物語ります。
【読み解くポイント②】タクシーの乗客たち(~9分)
日常(=社会)に戻れず生活しているダヨに基本的にセリフはありません。
代わりに、本作は彼の心情を【乗客たち】によって描き出します。
ある日の乗客【息子の活躍を自慢する父親】
この日の乗客は、サッカーの試合帰りの父親と息子。
父親は息子の活躍を、延々とダヨに自慢します。
無反応なダヨに気付いて息子は父親を止めますが、
親子の会話が聞こえているからこそ、ダヨは亡くした娘に想いを馳せています。
(ダヨ…こんなふうに自分の娘を褒めて、誰かに自慢したかった)
次の乗客【友達に恋愛相談をする女性】
次の乗客は、二人の若い女性。
「気になる男性がいるけど話しかけられないの」と恋の悩みを、相談しています。
娘が生きていたなら、いつかはこんなふうに恋に悩んだり、友達と過ごしたはずだった。
そんなダヨの悲しみが見えるシーンです。
次の乗客【無言の女性一人客】
次の乗客は、ある一人の女性。
彼女の髪は乱れ、サングラス越しに茫然と外を見つめています。
サングラスの下には、泣き腫らした目があるかもしれない。
彼女にも何かつらいことがあったのかもしれない。
そんな想像の余地のある人物です。
次の乗客【不幸が訪れる4分前の姉妹】
次の乗客は、ひどく取り乱して電話をしている姉妹。
その様子から、彼女たちの父親が家で倒れているのを(おそらくは窓越しに)隣人が見つけたことがわかります。
途中で充電が切れてしまった彼女に、ダヨはすぐさま充電ケーブルを差し出します(=乗客への同情と共感)
そして、「あと何分で着くか」と問われて「4分」と答えます。
【居眠りの男性客】【音楽を聴く女性客】
ほかにも居眠りをする男性や、ヘッドフォンで音楽を楽しむ女性も乗車します。
ここまでの【シーンの積み重ね】によって、
それだけのことにもダヨが自分の家族を重ねているだろうことが想像できます。
(かつての自分のように、家族を犠牲にして働いていないだろうか。娘と同じようにダンスも好きかもしれない等)
【仲のいい若い恋人】 →後日【仲のいい老夫婦】
ある日の乗客は、仲のいい若い恋人。
またある日の乗客は、仲のいい老夫婦。
この2組を続けて見せることで、まるで何十年も経ってしまったような錯覚を本作は演出します。
(実際、ダヨの体感はそのくらい長いのかもしれない。=楽しい時間は速く、つらい時間は長く感じるもの)
スマホの調子が悪いんだ、と弱っている老夫婦を微笑ましく見守るダヨ(自分も妻とこんなふうに歳をとっていたかもしれない)ですが、
妻の「ジョンなら…」という一言で空気が一変します。
夫「あれから5年か。今も毎日話してるよ」
妻「あの子が過ごすはずだった人生を思うと…」
※おそらくは息子に先立たれた老夫婦。「ジョンが生きていたなら “直してくれる” のに」という含みのあるセリフ。
これを聞いたダヨも “娘が過ごすはずだった人生” を思い、家族のことを回想します。
(挟まれる【回想シーン】は、ダヨも老夫婦と同じように「今も毎日話してる」という描写)
【第三幕】日常の “中” へ歩みだす父親
ここではある乗客を【契機】に、ダヨが「喪失」から「立ち直り」へ向かう様子が描かれます。
【ダヨの転機】”娘の誕生日” に出会った乗客(~12分)
ダヨにとってその日は、死んだ娘の誕生日でした。
あの日の彼女の写真を前に、ダヨは「ハッピーバースデー」を運転席で口ずさみます。
そこへ【ある3人家族】がやってきます。この日のダヨの【予約客】です。
父親と母親と、娘。
ダヨは思わず、彼らにかつての自分たちを重ねます。
しかし、いざ出発してみると、父親と母親は口喧嘩を始めます。
「娘を見ていたせいで仕事ができなかった」と、文字通り、娘を板挟みにしながらの押し付け合いをします。
二人の間に黙って座り続ける娘を、ダヨはミラー越しに心配しますが、
何も言葉はかけられないまま、目的地=彼らの自宅へ到着します。
しかし、その玄関先でも父親と母親は喧嘩を始めます。
今度は父親がボイラーを止め忘れていたためで、「”環境” によくない」と母親は責めます。
(娘の目の前で喧嘩をする自分たちの “家庭環境” は棚に上げて)
この上、「家のカギが見つからない」と別の喧嘩へ移った彼らを尻目に、ダヨは彼らの荷物を降ろします。
しかし、なぜか娘は車を降りてこようとしません。
ダヨが声を掛けてやっと、喧嘩を続ける両親のもとへ歩き出します。
【結末】”娘のように” 抱きつかれて号泣する(~16分)
喧嘩ばかりの両親のもとへ向かう娘を、ダヨは居た堪れずに背中で見守ります。
すると突然、娘に後ろから抱き締められます。
この出来事に、ダヨは思わず号泣します。
(そんな「ダヨ=運転手」を不審に思った父親と母親は、娘を連れて逃げるように家の中へ入る)
歩道に座り込み、ひとしきり泣いたダヨは、ふと空を見上げます。
心を落ち着かせ、涙を拭って、それから車へ乗り込みます。
そして運転席から再び空を見上げて微笑むと、ダヨは車を出して日常へ戻ります。
【読み解くポイント③】ダヨにしかわからない奇跡|娘を感じる理由
本作の【結末】の素晴らしさは、ダヨの視点でなくてはわからないところにあります。
(このため、先述した【家族】にはわからない=不審に思って逃げる)
一見、唐突な【クライマックス:他人の娘が抱き着く】は、
ダヨにとっては【クライマックス:娘との再会】です。
【仲のいい若い恋人】 →後日【仲のいい老夫婦】で先述したように、
ダヨは長い間、亡くした娘と「今も毎日話してる」状況にありました。
楽しかった日々を思い返したり、娘の誕生日を祝ったり。
そんなふうに想い続けながら、喪失の日々を送っていました。
そんなときに突然、死んだ娘を重ねていた子に抱きつかれたら、どう思うでしょうか。
自分を知らないはずの子が、背中から強く抱きしめてくれた。
娘を想い続けてきたダヨだからこそ、「あの子だ」と感じられる【クライマックス】に辿り着けます。
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【参考サイト一覧】
・彼方に | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
・Misan Harriman – Wikipedia
・THE AFTER – Neon Films (neon-films.co.uk)
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