(使用写真:映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』公式サイト (warnerbros.co.jp))
こんにちは、ユリイカです。
第3回目となる今回も、引き続き『るろうに剣心 最終章 The Beginning』のストーリーを、シーンごとにネタバレありで解説していきます。
※ネタバレなしの解説は、【完全解説】るろうに剣心 最終章 The Begining|【1】ストーリー解説(ネタバレなし)をご参照ください。
剣心と巴の「曖昧な関係性」
酔っ払いに絡まれた巴を救った剣心ですが、直後、殺しの現場を目撃されてしまいます。
「本来の剣心」=「人斬り抜刀斎」であるなら、新選組(幕府側)から目を付けられている以上、その場ですぐに巴を殺したはずです。
そうしなかったのは、剣心が「人斬りという今の自分に迷いを感じ始めている」状態にあるためです。
※【完全解説】るろうに剣心 最終章 The Beginning【2】オープニング~巴との出会い参照
カメラアングルからわかること「敵か、味方か」
翌朝、剣心が起きてみると、巴はすでに小萩屋で働いていました。
この時のカメラアングルが、これまでの『るろうに剣心』シリーズと『Beginning』の毛色の違いをとてもうまく表現しています。
【2・3作目】志々雄真実(藤原竜也)……煉獄(戦艦)や階段上から見下ろす
【4作目】雪代縁(新田真剣佑)…………橋から見下ろす(刃衛と同じ橋)
これまでは、強敵と対峙する際には毎回必ず高低差のあるアングルが使われてきました。
※今作のラスボス・辰巳(北村一輝)との対峙のアングルについてはこちらをご参照ください。→【完全解説】るろうに剣心 最終章 The Beginning【7】辰巳との戦い~巴の死
一方、給仕の最中に呼び止められた巴は、
階段の途中で箱膳を抱えたまま、半身で剣心を見下ろします。
「階段の途中」であることや、「半身で」あることが、巴の深層にある感情(表に出せない迷いや怒り)をとても効果的に表しています。
同時に、勧善懲悪では済まない『Beginning』の複雑さの表現にもなっています。
剣心の迷い「なぜ殺すのか。誰を殺すのか」
剣心は当然、巴を追い払おうとします。
(この時の有村架純さんの演技がとても好きです。ここまで「話す(挨拶)」と「動く(座礼)」を分けていた巴が、「お話とは何ですか」と剣心に足も止めないまま突っかかる。巴の怒りがリアリティをもって伝わります)
対する巴は、「では私を始末しますか。昨晩の黒いお侍のように」と出ていこうとしません。
巴「刀の有る無しで斬り殺していい人と悪い人、ですか。ではもし、私がこの場で刀を手にすれば、あなたは私を?」
ここで本作の剣心の問題(テーマ)が、改めて巴の口から突き付けられます。
剣心はこの問いに答えられません。なぜなら、迷っている最中だからです。
巴の迷い「誰を恨めばいいのか」
一方で、巴の迷いも描かれます。
夜の暗殺から戻り、入水屋で手を洗う剣心。
(この時の佐藤健さんの演技、カメラマンの方のアングルも素晴らしいです。巴の差し出した手拭いで剣心が拭くのは、血にまみれた手ではなく、清里に付けられた頬の傷です。それを、カメラマンはあえて映さない)
このシーンは一見、 “剣心視点” のようにも見えますが、
責めながらも、どこか更生させようとしているような気配があります。
その原因は、この直前のセリフにあります。
ここには、 “ハニートラップのにおわせ” と同時に、時間の経過が含まれています。
つまり巴は、もう何日も、幾晩も剣心が出ていくのを見ながら小萩屋で生活しているということです。
清里の復讐のために近付いたものの、だんだんと剣心の迷いに巴も感化されていく。
だからこそ、剣心の部屋に花を活け、「ちゃんと食べてくださいね」と運んだ膳に一言添えるようになっていく。
そんな巴と暮らすうち、剣心も少しずつ心を許していきます。(相変わらず刀を抱えたままではあるものの、巴の前で眠るようになる)
この巴の背景、迷いを知った上で作品を見返すと、巴が飯塚に冷たい理由(話しかけられても無視をする、「しっ」と指を立てて制止する)も違って見えてきます。
単に巴が不愛想だからではありません。
剣心は、長州=桂の命令で人を斬っている。しかし、斬るほどに病んでいく。
斬らせている「長州の人間」、そのひとりである飯塚だからこそ、巴は冷たく接しているのです。
祇園祭「人波に紛れるふたりの本音」
飯塚から剣心の変化を知った桂小五郎は、ある晩、巴を訪ねます。
(赤空の刀を持参。剣心は人斬りで不在。その無事を祈るように巴は窓の外を見つめている)
※「狂った正義」=「諸君、狂いたまえ」という吉田松陰の言葉から
もちろん桂は、巴が幕府側の密偵とは知りません。
ですが、観客は巴が「怪しい」ことに薄々気付いています。
(実際、巴は剣心の「剣を鈍らす」=「弱味を探るために来た密偵」なので、伏線も兼ねた皮肉なセリフになっています)
剣心と清里の間で揺れる「巴の心」
翌日、赤空の刀を渡した際に、巴は剣心を祇園祭に誘います。
この時すでに巴の心は、桂の言葉を受けて剣心へ完全に傾いています。(これもまた皮肉ですね)
食事を促し、部屋に花を活け、夜な夜な剣心の身を案じる。
けれど死んだ清里の手前、巴は剣心に「人斬りをやめて」とは言えません。
人斬りをしているからこそ、剣心が復讐の相手となり得るからです。
代わりに巴は、
「全ての人に大切な人がいる」
「(平和のために)小さな何かが犠牲になることは、致しかたないことなのでしょうか」
と剣心に問いかけます。
「あなたもその、犠牲者ではないのですか」と。
「全ての人に大切な人がいる」=全ての人が時代の犠牲者
ここで「騎兵隊シーン」での高杉晋作のセリフが回収されます。
「血に汚れた神輿は誰も担いではくれない(だからお前=桂は手を汚すなよ)」
続く剣心のセリフで、剣心もこの事情を承知で人斬りをしていたことが明かされます。
剣心も巴も、誰もが傷ついている。
時代の大きな流れの中で、毀れた刀を使い捨てていくように、次から次へと人が傷ついていく。
この連鎖を見せつけるように、ストーリーは「祇園祭の夜」=池田屋事件へと展開していきます。