(使用写真:映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp))
こんにちは、ユリイカです。今回は、『オッペンハイマー』(2023)についてお話します。
- 【ストーリー】「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの歴史映画
- 【予備知識】”原爆の父”、オッペンハイマーとは
- 【経歴と生い立ち】ルーツは “ユダヤ系移民”|迫害から逃れた両親
- 【マンハッタン計画のきっかけ】アインシュタインの手紙と “アメリカの焦り”
- 【秘密の危険性】オッペンハイマーの師・ボーア と 水爆の父・テラー
- 【アメリカ共産党とは】オッペンハイマーの弟・元恋人・妻・同僚
- 【マンハッタン計画始動】巻き込まれたオッペンハイマー|同僚・ローレンス
- 【原爆か、水爆か】オッペンハイマーとテラーの対立
- 【マンハッタン計画の責任者】オッペンハイマーのパートナー・グローヴス
- 【ロスアラモス国立研究所】初代所長・オッペンハイマー就任|時系列整理
- 【シュバリエ事件】友人・シュバリエとの会話|スパイ疑惑
- 【監視対象オッペンハイマー】軍の諜報部員・パッシュとニコルス|タトロックとの密会
- 【ボーアのロスアラモス合流】ドイツ人科学者・ハイゼンベルクの接触
- 【ボーアの懸念】科学者たちの想像力の欠如|未来の核兵器開発競争
- 【人類最初の原爆】ガジェット(トリニティ実験で使用される原子爆弾)
- 【ナチスドイツ降伏】原爆開発の大義を失う科学者|ルーズベルト大統領→トルーマン大統領
- ※3月29日(金)日本公開→劇場鑑賞後に加筆予定【ネタバレあり】
- 【参考サイト一覧】
【ストーリー】「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーの歴史映画
『オッペンハイマー』のストーリーはこちらです。
【あらすじ】オッペンハイマーの栄光と苦悩
(画像:full.a082ad.jpg (2584×4096) (oppenheimermovie.com))
本作は、クリストファー・ノーラン監督が、「原爆の父」と呼ばれたアメリカの物理学者ロバート・オッペンハイマーを描いた歴史映画です。
つまり、「原爆」を生み出したオッペンハイマー(=成功)が、「水爆」の開発に抵抗(=苦悩)する “史実” を描いたストーリーです。
【原案本】『”原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇』→『オッペンハイマー(上・中・下)』
本作の下地となった作品は、
『”原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(原題:American Prometheus)』(著:カイ・バード,マーティン・シャーウィン /訳:河邉俊彦)です。
2007年にPHP研究所から上下巻で出版されたこちらの本は現在、絶版となっていますが、
↓
2024年に早川書房より、新たな監訳・解説を付して改題した以下の『オッペンハイマー(上・中・下巻の文庫本)』が発売されました。
詩や哲学にも造詣が深く、繊細な精神の持ち主であったオッペンハイマーの青年時代について。
(引用:オッペンハイマー 上──異才 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン (hayakawa-online.co.jp))
マンハッタン計画を主導、爆破実験の場(=アメリカ・ニューメキシコ州でのトリニティ実験)にも参加し、ヒロシマ、ナガサキに落とされた2発の原爆を作り出したオッペンハイマーの壮年時代について
(引用:オッペンハイマー 中──原爆 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン (hayakawa-online.co.jp))
『下巻:贖罪』
原子力兵器の規制派(=反対派)として、物理学者たちを率いた晩年と「オッペンハイマー事件※」の真相について
※1954年…「オッペンハイマー事件」=第二次世界大戦後、原子力委員会の要職に就いたオッペンハイマーがスパイ嫌疑を受けて公職から追放された事件
(引用:オッペンハイマー 下──贖罪 | 種類,ハヤカワ文庫NF | ハヤカワ・オンライン (hayakawa-online.co.jp))
【予備知識】”原爆の父”、オッペンハイマーとは
(画像:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー (youtube.com))
ここでは、「原爆の父」と呼ばれるオッペンハイマーと本作に関連する史実について、できるだけわかりやすく解説します。
【経歴と生い立ち】ルーツは “ユダヤ系移民”|迫害から逃れた両親
本作の主役・オッペンハイマー(演:キリアン・マーフィー)は、アメリカの理論物理学者です。
・物理現象を 理論的に研究する 物理学の分野。
↑自然現象の基本法則を発見し,数学的形式で物理理論を構成し,この理論から数学的推論によって物理的な結論を導き出す物理学の分野。
(引用:理論物理学(りろんぶつりがく)とは? 意味や使い方 – コトバンク (kotobank.jp))
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ここで【補足】しておきたいのは、オッペンハイマーがユダヤ系米国人であるという点です。
ジュリアス・オッペンハイマー
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エラ・フリードマン
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【マンハッタン計画のきっかけ】アインシュタインの手紙と “アメリカの焦り”
1939年9月、ヒトラー率いるナチスドイツがポーランドへ侵攻したのをきっかけに、第二次世界大戦がはじまります。
枢軸国(ドイツ・イタリア・日本など)
↑↓
連合国(イギリス・フランス・中華民国・アメリカ・ソビエト連邦など)
【マンハッタン計画】はこのひと月前の1939年8月、ある1通の手紙の作成をきっかけに始まります。
それがアインシュタイン=シラードの手紙です。
アルベルト・アインシュタイン(演:トム・コンティ)(画像:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー (youtube.com))
【アインシュタイン=シラードの手紙※1】
アインシュタイン(ドイツ生まれのユダヤ人・物理学者 ※2)
↓
アメリカ・ルーズベルト大統領に送られた手紙
(手許に届くのは1939年10月)
※1…実は、この手紙の作成を依頼したのは物理学者レオ・シラード。当時、自身が無名だったために “アインシュタインの署名” が必要だった。晩年、アインシュタインはこの “署名” への後悔の念を吐露する。
※2…1933年にヒトラー率いるナチスが政権を獲得して以降、アインシュタインがドイツに戻ることはなかった。
↓内容を簡単にまとめると
・連合国側への警戒と研究支援を訴える(政府と物理学者をつなぐ仕組み作り)
・ナチスドイツが開発する恐れがあることも示唆(核エネルギー開発)
この手紙によって、連合国側(=アメリカ)は、敵国・ナチスドイツよりも先に「強力な爆弾」=「原子力爆弾(以後、原爆と表記します)」を開発する必要があることに気が付きます。
(画像:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー (youtube.com))
それから3年後の1941年10月。
ルーズベルト大統領が「核兵器開発プロジェクト」を承認したことにより、アメリカ政府による【マンハッタン計画=本格的な原爆開発】が始まります。
【秘密の危険性】オッペンハイマーの師・ボーア と 水爆の父・テラー
先述した【アインシュタインの手紙】の時点では、オッペンハイマーはまだ「部外者」でした。
原爆開発が「ナチスとの競争(予告編字幕より引用)」である以上、【マンハッタン計画】は秘密裏に行う必要があったためです。
(着手後も、 別部署の研究内容は全く伝えられず、個々の科学者に与える情報も担当分野のみに限定され、全体を知るのは上層部のみという秘密主義が徹底された)
しかし、この「秘密」の構造が科学者の間に齟齬を生みます。
ここで紹介したいのが、ボーア(演:ケネス・ブラナー)とテラー(演:ベニー・サフディ)です。
ニールス・ボーア (デンマークの理論物理学者・英米へ亡命) (画像:映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp))
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エドワード・テラー (ハンガリーの理論物理学者・米へ亡命) (画像:映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp))
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上記に示したように、ボーアとテラーは【マンハッタン計画】以外にも共通点がいくつもあります。
①ユダヤ人の血を引いている
(迫害から逃れるために亡命している)
②ヴェルナー・ハイゼンベルク※と交流があった
※ユダヤ人物理学者を擁護しながらも、ナチス政権下で原爆開発に関わったドイツの物理学者。
③プリンストン大学での会合に同席
(原爆誕生の可能性についての会合)
互いに研究結果を「公開」し合うからこそ、ときに誤りが正されうると考えていました。
※『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』藤永茂 p.154より引用
「ナチスに先を越されない(スパイ防止の)ためにも、研究は秘密にする必要がある」
【ボーアの主張】
「研究を秘密にすることは許されない(=誰も誤りに気付かない可能性がある)」
一見、堅物に思えるボーアですが、一方でその社交的な人柄から多くの物理学者に慕われていました。
(反対に、利己的なテラーは戦後、だんだんと科学者たちから相手にされなくなっていく)
「ある人間が、ただそばにいるだけで、わたしをこれほど喜ばすことは、あなた(=ボーア)の場合以外にそれほど経験したことはありません」
「(ボーアの人柄は)意見を述べる際に、自分は絶対に正しいと勝手に倍じた態度ではなく、いつも手探りをしている」
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.113より引用
オッペンハイマーも、彼を慕った一人です。
オッペンハイマーはボーアを師と仰ぎ、
ボーアの【理念:物理学者が分け隔てなく研究できる】をそのまま自分の【理念】としていました。
しかし、“私たちは、オッペンハイマーによって、その 理念 が 皮肉な悲劇的な姿で実現される のを見る” ことになります。(引用:『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』藤永茂 p.156より)
【アメリカ共産党とは】オッペンハイマーの弟・元恋人・妻・同僚
オッペンハイマーに政府からすぐに原爆開発の話が行かなかったのには【理由】があります。
それは、オッペンハイマーの周囲がアメリカ共産党を支持していたためです。
【アメリカ共産党】
・共産主義とマルクス・レーニン主義を掲げる政党
・「アカ」とも呼ばれる(社会主義や共産主義の象徴が赤旗であることから)
・1919~1950年代後半にかけて、アメリカの最も有力な左翼組織のひとつだった
上記の主義をひとことで簡単に説明すると、「貧富の差をなくす」ことを目標に掲げた政党です。
しかし、この政策は現実的には困難です。
例えば中国=社会主義国家※ですが、国内には当然、貧富の差が存在しています。
※社会主義と共産主義はほぼ同義の意味として扱われることもある(社会主義 – Wikipediaより引用)
後述するオッペンハイマーの同僚・ローレンスは当初、オッペンハイマーを原爆開発に誘えないもどかしさについて、次のような言葉を残しています。
オッペンハイマーが実際に共産党員であったかどうかについては現在もはっきりとしたことはわかっていません。
しかし、その周囲が共産党員で溢れていたことは事実です。
ここでは、本編に登場するオッペンハイマーの弟、元恋人、妻、同僚について簡単にご紹介します。
【オッペンハイマーの弟】フランク・オッペンハイマー
フランク・オッペンハイマー
(演:ディラン・アーノルド)
- オッペンハイマー(以後、兄と表記)の助言で、兄と同じく物理学者に。
- 兄の忠告に反して、妻とともにアメリカ共産党に入党。
- 兄の同僚・ローレンスの下で働き、ロスアラモス研究所にも合流。トリニティ実験にも参加。
- 1947年、共産党員だった過去が新聞報道され、職を追われる。
- 1957年、赤狩り(マッカーシズム)の収束で高校教師に復職する。
兄・オッペンハイマーと弟・フランクは、仲の良かった兄弟として知られています。
一方で、“似ているようで似ていなかった” とも言われています。
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.224より引用
これは反面、兄・オッペンハイマーに人と摩擦を起こす側面があったことも表しています。
オッペンハイマー自身も、弟・フランクのことを「彼はぼくよりずっと立派な人物だ」と述べています。
(参考:Frank Oppenheimer – Wikipedia)
【オッペンハイマーの元恋人】ジーン・タトロック
ジーン・タトロック
(演:フローレンス・ピュー)
- アメリカの精神科医で、オッペンハイマーの元恋人。
- アメリカ共産党のメンバーであり、党の出版物『Western Worker』の記者兼ライター。
- 1954年の「オッペンハイマー事件」では、彼女との恋愛関係がオッペンハイマーにとって不利な証拠として使われる。
1936年、タトロック(22歳・医学生)はオッペンハイマー(36歳・バークレー校の教授時代)と出会います。
出会いの場となったのは共産主義者が支援する募金活動で、彼女自身もアメリカ共産党の記者・ライターをしていました。
(オッペンハイマーとの出会いを仲介したのも共産党員の女性)
タトロックの父親はバークレー校の文学部教授であり、タトロックがその娘であることをオッペンハイマーも知っていました。
父親の文学的才能を継ぐ娘・タトロックと、文学にも造形のあったオッペンハイマーは急速に惹かれ合いますが、
オッペンハイマーが2度もプロポーズしたにも関わらず、ふたりは3年ほどで破局※します。
※破局後(1940年のオッペンハイマー結婚後)も関係は続いていたと言われる。
【オッペンハイマーの妻】キティ(キャサリン)・オッペンハイマー
キティ(キャサリン)・オッペンハイマー
(演:エミリー・ブラント)
- ドイツ系アメリカ人の生物学者、植物学者。
- 1929年、アメリカ共産党に入党→1930年後半に離党。
- 2番目の夫をスペイン内戦(共和党 vs 国民党)で失う。
- 1940年、オッペンハイマーと4度目の結婚をする。
- 1943年、オッペンハイマーとともにロスアラモスに移り住む。
1939年、オッペンハイマーと出会った当時のキティ(23歳)は人妻でした。
しかし、ふたりはひと目も憚らずに交際し、キティは妊娠(オッペンハイマーの長男・ピーター)を期に堂々離婚、オッペンハイマーと結婚します。
キティの活発さ、気性の激しさが見えるエピソードです。
(参考:Katherine Oppenheimer – Wikipedia)
【オッペンハイマーの同僚】ハーコン・シュヴァリエ(シュバリエ事件)
ハーコン・シュヴァリエ
(演:ジェファーソン・ホール)
- カリフォルニア大学バークレー校のフランス文学教授
- 1937年、バークレー校の同僚・オッペンハイマーと「集会」で出会う。
- 1940年、自宅で開いた「会議」にオッペンハイマーが出席する。
- 1943年、自宅の台所でオッペンハイマーにソ連への情報提供を打診する(オッペンハイマーは拒否)=【シュバリエ事件】
上記の「集会」、「自宅での会議」はいずれもアメリカ共産党に関連する集まりでした。
特に「自宅での会議」には、FBIが監視と盗聴の対象としていた共産党員が参加しており、
このため、そこに同席したオッペンハイマーの記録もFBIの手に渡ります。
※シュバリエ事件については『【シュバリエ事件】友人・シュバリエとの会話|スパイ疑惑』をご参照ください。
(参考:Haakon Chevalier – Wikipedia)
【マンハッタン計画始動】巻き込まれたオッペンハイマー|同僚・ローレンス
当初、原爆開発はアメリカよりもイギリスの方が勢いがありました。
しかし、ドイツ空軍による本土への攻撃激化によって、イギリスでの開発(施設の保持)が難しくなります。
そこでイギリスはアメリカに働きかけます。
(1941年8月、「モード報告書」が非公式にアメリカへ届けられる)
しかし、この時のアメリカは未だ参戦しておらず、原爆開発にも慎重なスタンスを保っていました。
これが【アインシュタインの手紙】以降、3年もの間、開発が停滞していた理由です。
この状況に焦りを覚えた「モード委員」の一人(マーク・オリファント)が働きかけたのが、アーネスト・ローレンス(演:ジョシュ・ハートネット)です。
(アメリカの物理学者・母親がユダヤ人)
- 1885年、デンマーク生まれ(母親がユダヤ人)
- 1922年、ノーベル物理学賞を受賞
- 1928年、カリフォルニア大学準教授
(翌年、オッペンハイマーはカリフォルニア大学助教授となる) - 1936年、カリフォルニア大学バークレー校の放射線研究所所長に着任
(オッペンハイマーはカリフォルニア大学教授に昇進) - 1941年8月、オリファントから「モード報告書」の意義を熱弁される
- 1941年9月、オリファントとオッペンハイマーと昼食を共にする。※後述します
- 1943年12月、【マンハッタン計画】に合流
上記に示したように、オッペンハイマーとローレンスはもともとカリフォルニア大学バークレー校の同僚でした。
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.162より引用
そして1941年8月、「モード委員」の一人(オリファント)が訪ねてきたとき、
オッペンハイマーは同大学の教授であり、ローレンスは同大学の放射線研究所所長でした。
翌9月、オリファントとオッペンハイマー、ローレンスの3人は昼食を共にします。
この時に、
(引用:『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』藤永茂 p.162より)
とオリファントがオッペンハイマーを “秘密(=ローレンスに持ち掛けた原爆開発計画)“ に巻き込みます。
そしてオッペンハイマーはローレンスに同伴する形で原爆開発の委員会(翌10月)に出席。
ここから公式に原爆開発=【マンハッタン計画】に参加していくことになります。
(参考:MAUD委員会 – Wikipedia、アーネスト・ローレンス – Wikipedia)
【原爆か、水爆か】オッペンハイマーとテラーの対立
1942年、夏(アメリカ参戦後、グローブスがマンハッタン計画責任者となった頃)。
オッペンハイマーは物理学者を集めて、原爆の設計についての議論の場をもうけます。
この時、先述したテラーは、水素爆弾(以後「水爆」と表記します)の可能性を強硬に主張します。
【原爆と水爆の違い】を簡単に説明すると、
【原爆】=核分裂だけを利用する爆弾
【水爆】=【原爆】を利用し、核融合も引き起こす爆弾
※1952年のアメリカ最初の水爆実験「アイビー作戦」では、原爆(広島)の625倍の威力が確認された。
終戦後も水爆にこだわり続けることになるテラーは、後述する【トリニティ実験=史上初の原爆実験】の際には次の感想を述べています。
(参考:エドワード・テラー – Wikipedia)(画像:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー – YouTube)
(しかも終戦直後、オッペンハイマーは一足先に “原爆の父”という名声を手に入れている)
この時もテラーはオッペンハイマーにとって不利な証言(嘘も含む)も行い、オッペンハイマーを公職追放へ追い込みます。
【マンハッタン計画の責任者】オッペンハイマーのパートナー・グローヴス
1941年8月、非公式にイギリスからアメリカに届けられた「モード報告書」(上記【マンハッタン計画始動】参照)は、
同年10月3日、正式にアメリカの行政機関(NDRC議長のヴァネヴァー・ブッシュ)に渡されます。
そこから6日後の10月9日。
ブッシュ、ルーズベルト大統領、副大統領の3人の会談によって、【アメリカの原爆製造】がついに決定します。
日本による真珠湾攻撃(アメリカへの奇襲攻撃)が起きたのは、
その約2か月後の1941年12月7日※。
※翌8日にアメリカは日本に対して宣戦布告
こうしてアメリカの第二次世界大戦への参戦(太平洋戦争)が始まります。
これに合わせ、【マンハッタン計画】も本格始動します。
オッペンハイマーらユダヤ人科学者が多く参加したマンハッタン計画。
その責任者は1942年9月、レズリー・グローヴス(演:マット・デイモン)というアメリカ陸軍の人間に決定します。
(アメリカ陸軍の軍人)
- 1918年、陸軍士官学校卒業→陸軍工兵隊(軍事施設の設計、施工監理をする)へ入隊
- 1942年9月18日、【マンハッタン計画】の責任者に就任
- 1945年7月16日、史上初めての核実験=【トリニティ実験】に成功
- 1948年、陸軍を退役
先述したオッペンハイマーの【マンハッタン計画】合流後、グローブスもまた、彼に相談するためにカリフォルニア大学バークレー校を訪れます。
この時、「爆弾を設計、テストできる実験室の設立」について意見を聞かれたオッペンハイマーは、
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.314より引用
と意見します。これをきっかけにオッペンハイマーとグローヴスによって場所の選定(1942年11月)がなされ、1943年、ニューメキシコ州ロスアラモスに【ロスアラモス国立研究所】が創設されます。
また、この “人里はなれた田舎” は、先述した原爆研究の【秘密保持】という点においても都合の良い提案でした。
水爆の父・テラーと同じく、軍人・グローヴスも機密保持を懸念していたからです。
1942年10月15日、シカゴでの会合の帰りの夜行列車。
グローヴスはオッペンハイマーとの会話を通して次のことを【確信】します。
※『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』藤永茂より引用
それだけでなく、グローヴスはオッペンハイマーを先述したローレンスと比較し、次のように評します。
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.314より引用
グローヴスにとってオッペンハイマーは、【自身の責任=原爆開発】を果たすための条件を備え持つ、絶好のパートナーでした。
また、オッペンハイマーにとってもそれは同じでした。
グローブスが “オッペンハイマーの技術力” を必要としたように、
オッペンハイマーにも “グローヴスの政治力” が必要でした。
「(オッペンハイマーは)この戦争はこれまでのどんな戦争とも違っているとわたしに話すのだった。それは、自由の原則についての戦争であった。戦争遂行の努力は、ナチスを倒して、ファシズムをひっくり返す大規模な努力であったことを、彼は確信していた。」
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.348より引用
オッペンハイマーの【確信=ユダヤ人の自由のための戦い】を果たすには、グローヴスの軍事的権限が不可欠でした。
科学者・オッペンハイマーと、軍人・グローヴス。
二人は上記のような絶妙な共生関係で結ばれていました。
【ロスアラモス国立研究所】初代所長・オッペンハイマー就任|時系列整理
ここまでの歴史を、映画『オッペンハイマー』に沿って【整理】すると、次のようになります。
・8月、アインシュタイン=シラードの手紙作成(原爆開発に世界が焦りだす)
・9月、ナチスドイツがポーランドへ侵攻(第二次世界大戦のはじまり)
↓
・8月、イギリス→アメリカに原爆打診(「モード報告書」が非公式に届く)
・同月、オッペンハイマーが【マンハッタン計画】を知る
・10月、ルーズベルト大統領が正式承認→【マンハッタン計画】始動
・12月、日本の真珠湾攻撃→アメリカ参戦(太平洋戦争のはじまり)
・夏、オッペンハイマー vs テラー(原爆を作るのか、水爆を作るのか)
・9月、グローヴスが【マンハッタン計画】の責任者に就任
・11月、ロスアラモスへの研究所設置が決まる(秘密の研究に田舎を選ぶ)
そして1943年・春、ロスアラモス国立研究所・初代所長にオッペンハイマーが就任します。
このロスアラモス国立研究所には科学者のみならず、その家族も暮らしていました。
その数は1945年5月のナチス降伏までの間に、4000人の民間人と2000人の軍人の町にまで成長しました。
(参考:『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』)
このロスアラモス国立研究所で、
・1945年8月に日本の広島・長崎に投下される【原爆】の開発
が秘密裏に行われます。
【シュバリエ事件】友人・シュバリエとの会話|スパイ疑惑
1943年初頭、オッペンハイマーはバークレー校の同僚であり友人のシュバリエと、彼の自宅の台所で短い会話を交わします。
(シュバリエについては『【アメリカ共産党とは】オッペンハイマーの弟・元恋人・妻』をご参照下さい)
このとき、シュバリエは次のことを話します。
②①を通じて、ソ連に情報提供が可能なこと
つまり、原爆開発の情報を「ソ連に提供しないか」という誘いです。
オッペンハイマーはこの提案を拒否しますが、このことを【報告しなかったこと・誤魔化したこと】が問題視されます。
このとき(1943年7月)はグローヴスによって公職追放を免れたオッペンハイマーでしたが、
のちのオッペンハイマー事件(1954年のスパイ嫌疑)でこの件=【シュバリエ事件】が再び掘り返されてしまいます。
【監視対象オッペンハイマー】軍の諜報部員・パッシュとニコルス|タトロックとの密会
繰り返しになりますが、【マンハッタン計画】は
②そのために秘密で研究をする(スパイを防ぐ)
この2点が大前提でした。
このため、身辺にアメリカ共産党員が多かったオッペンハイマーは、たびたび尾行や盗聴に遭います。
(『【アメリカ共産党とは】オッペンハイマーの弟・元恋人・妻』をご参照下さい)
のちのオッペンハイマー事件(1954年のスパイ嫌疑)では、この時にFBIが集めた情報と証言(信憑性の低いものも含む)によって、オッペンハイマーは追い詰められます。
中でもオッペンハイマーの立場を不利にしたのは、
1943年6月、元恋人・タトロック=アメリカ共産党員との密会です。
※精神的に不安定だったタトロックとの密会は、1939年~1943年にかけて年2回ほどあった(『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』より)
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.381より引用
このような情報をFBIに提供していたのは、軍の諜報部員でした。
つまり、ロスアラモス国立研究所内部には、オッペンハイマーを見張る役目の軍人がいたということです。
それが、ボリス・パッシュ(演:ケイシー・アフレック)とケニス・ニコルス(演:デイン・デハーン)です。
ボリス・パッシュ (アメリカ陸軍の防諜部将校・保安担当官) (画像:映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp)) |
ケニス・ニコルス (アメリカ陸軍の将校・グローヴスの側近) (画像:Kenneth Nichols | Christopher Nolan Wiki | Fandom) |
先述したように、研究所の所長・オッペンハイマーとマンハッタン計画の責任者・グローヴスは、切っても切れない共生関係にありました。
このため、同じアメリカ陸軍の人間でありながら、オッペンハイマーに不信感を抱くパッシュとニコルスと、オッペンハイマーに信頼を寄せるグローヴスは時に対立します。
のちのオッペンハイマー事件(1954年のスパイ嫌疑)においても、パッシュとニコルスはオッペンハイマーに対して不利に働きます。
【ボーアのロスアラモス合流】ドイツ人科学者・ハイゼンベルクの接触
【マンハッタン計画】の責任者・グローヴスは、オッペンハイマーを信頼する一方で、
オッペンハイマーが師と仰ぐボーアのことは煙たがっていました。
なぜなら、
↑↓
デンマークの物理学者・ボーア=自由主義
二人の科学研究(原爆開発)に対するスタンスが完全に食い違っていたためです。
1943年12月、ボーアは “英国の原爆プロジェクト・コンサルタント” としてロスアラモス国立研究所に合流しますが、
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.442より引用
着いて早々にグローヴスの手を焼かせます。
(そもそもグローヴスはボーアの【マンハッタン計画】参加が不満だった。だが、彼の名声を鑑みてロスアラモス訪問を許可した)
(画像:【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー (youtube.com))
そんなボーアですが、彼はこのとき【ある危機感】を抱いていました。
それが、2年前(1941年9月)に起きたドイツの物理学者・ハイゼンベルクの接触です。
ボーアはハイゼンベルクから、ナチスドイツが原爆開発に使う原子炉の図を手渡されます。
ナチスドイツが自分から情報を引き出そうとしていることを恐れたボーアは会話を中断、
1943年9月にデンマークを脱出→イギリス(ナチスドイツは暗殺を謀るも失敗)→アメリカへ亡命します。
そして、そのボーアの手によって、オッペンハイマーをはじめとするロスアラモス国立研究所の科学者の手に原子炉図が届けられます。
(が、図面から失敗作であることがすぐに判明する。ただし、それがミスリードか実際の図面だったかは不明)
(参考:ニールス・ボーア – Wikipedia)
【ボーアの懸念】科学者たちの想像力の欠如|未来の核兵器開発競争
先述したハイゼンベルクから渡された図面にボーアが驚いたことは事実ですが、
ボーアが本当に恐れていたのは、ナチスドイツの原爆開発ではありませんでした。
ボーアは、ソ連(ロシア)との間に近い将来、核競争が起こり得る※ことを懸念していました。
※ボーアの案は、ロシアに「秘密の暴露=核開発プロジェクトの存在を明かす(原子力の国際管理)」というもの。秘密主義のグローヴスにはとても受け入れられず、そのような発言をする彼を隔離するために、隔絶されたロスアラモス国立研究所に連れてきた側面がある。
オッペンハイマーにボーアが最初にした質問は、「それは十分に大きいか」ということでした。
つまり、“敵が戦意を喪失するほど強力な武器か” と尋ねます。
ロスアラモス国立研究所開設から1年あまり、ひたすら研究とその運営に集中してきたオッペンハイマーを、ボーアは【核兵器がもたらす未来】へ集中させます。
※『オッペンハイマー “原爆の父” と呼ばれた男の栄光と悲劇(上)』p.442より引用
ボーアが合流するこの時まで、核兵器の誕生がもたらす未来を想像する科学者はロスアラモス国立研究所には一人もいませんでした。
【人類最初の原爆】ガジェット(トリニティ実験で使用される原子爆弾)
1945年春の時点で、原爆の材料(低濃縮ウラン)確保は軌道に乗っていました。
しかし、今のままのデザインでは、それを効率的に発射できないことが判明します。
ここで登場するのが「爆縮法」です。
ここで言う「爆縮」とは、「原爆の起爆方法」のことで、全方向から均一に燃焼圧力をかける必要がありました。
この「爆縮」のために、「爆縮レンズ」と呼ばれる技術(32面体のデザイン)が開発されます。(1944年12月中旬に完成)
それが【予告編】でも登場するこちらの「ガジェット※」に採用されています。
※「ガジェット」=”爆弾” だということが外部に知られないように「ちょっとした装置」という隠語が付けられた。
オッペンハイマーは、1945年5月までに「ガジェット」を完成させられるとほとんど確信していました。
この「ガジェット=人類最初の原爆」を使って、トリニティ実験=人類最初の核実験が行われることになります。
【ナチスドイツ降伏】原爆開発の大義を失う科学者|ルーズベルト大統領→トルーマン大統領
1945年4月12日、ルーズベルト大統領は脳卒中でこの世を去ります。
後任はトルーマン大統領です。彼に対するアメリカの一般的な評価は
「戦争を早期終結に導き、アメリカ将兵の命を救った大統領」
とされています。
これは、第二次世界大戦当時の陸軍長官・スチムソンが【原爆投下の理由】を
と1947年に説明したためです。これをトルーマン大統領も踏襲し、生涯にわたって日本への原爆投下を正当化したと言われています。
ルーズベルト大統領からトルーマン大統領へアメリカが引き継がれたこの頃。
ヨーロッパでの戦争は終わりに近づいていました。
しかしその一方で、太平洋での日本とアメリカの戦争は凄惨を極めていました。
そして1945年5月、ついにナチスドイツが降伏。
ヨーロッパでの第二次世界大戦は終わりを迎えます。
『【マンハッタン計画のきっかけ】アインシュタインの手紙と “アメリカの焦り”』で先述したように、
そもそも【アメリカの原爆開発】は、
つまり、ナチスドイツに使うために始まりました。
ナチスドイツが降伏をしたこの瞬間、
【アメリカの原爆開発】は大義を失ったことになります。
また、
※『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』藤永茂より引用
【原爆開発】に携わってきたロスアラモス国立研究所の科学者たちは、
1944年11月の時点でナチスドイツの原爆は完成しないことを知っていました。
にもかかわらず、ナチスドイツ降伏から2か月後には【トリニティ実験】が行われます。
(参考:フランクリン・ルーズベルト – Wikipedia、ハリー・S・トルーマン – Wikipedia)
※3月29日(金)日本公開→劇場鑑賞後に加筆予定【ネタバレあり】
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【参考サイト一覧】
・映画『オッペンハイマー』公式|3月29日(金)公開 (oppenheimermovie.jp)
・Oppenheimer | Watch Now On 4K, Blu-Ray, DVD & Digital (oppenheimermovie.com)
・オッペンハイマー : 作品情報 – 映画.com (eiga.com)
・クリストファー・ノーラン監督『オッペンハイマー』IMAX上映決定! | Fan’s Voice | ファンズボイス (fansvoice.jp)
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