記事内容には広告が含まれる場合があります。

【完全解説】るろうに剣心 最終章 The Beginning【2】オープニング~巴との出会い

るろうに剣心 最終章 The Beginning|大友啓史監督

(使用写真映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』公式サイト (warnerbros.co.jp)

こんにちは、ユリイカです。
第2回目となる今回からは、『るろうに剣心 最終章 The Beginning』のストーリーを、シーンごとにネタバレありで解説していきます。
※ネタバレなしの解説は、【完全解説】るろうに剣心 最終章 The Begining|【1】ストーリー解説(ネタバレなし)をご参照ください。

オープニング「”人斬り抜刀斎”の衝撃」

後ろ手に縛られているにもかかわらず、剣心が対馬藩邸で大立ち回りをする冒頭のアクションシーン。
観客の心を鷲掴みにするのと同時に、これまでの “剣心” とは全く異なる、 “人斬り抜刀斎感” をまざまざと突き付ける衝撃的なシーンとなっています。

象徴的な背景美術「暴れ馬」

この対馬藩邸で象徴的なのは、中央壁面に描かれた「馬の絵」。

耳を噛みちぎり、人を踏み殺し、刀を口に咥えて水瓶ごと刺し殺す――まさに「暴れ馬」のような剣心の立ち回りによって、辺りは瞬く間に血の海と化します。
その残虐さは、まるで切腹を演出するかのように対馬藩の家老・勝井を殺害するところからも見て取れます。

耳を「噛みちぎる」剣心

人間の体を食いちぎる凶暴さは、実は第3作『るろうに剣心 伝説の最期編』の中でも描かれています。

それは、人斬り抜刀斎の後継者=志々雄真実(藤原竜也)。

戦いの最中、志々雄は剣心の肩を噛みちぎります。
前作(剣心視点では未来)に繋がる演出となっているのがニクいですね。

【補足】なぜ “対馬藩邸” か

オープニングシーンという短い尺に入れ込むために、時系列や状況はアレンジされていますが、これは「勝井騒動(1864-1865)」という史実のひとつです。
※アクションシーンの最後で剣心に斬られた赤い着物の男が “対馬藩家老・勝井” です。

冒頭、「おおごっちゃー! おおごっちゃー!(大ごとだ!)」と叫びながら対馬藩邸に駆け込んだ男・平田。
実は、この平田は尊攘派、勝井は佐幕派です。
史実では平田が「反勝井」を唱え、1865年5月2日(または3日)に勝井を討ったとされています。
(その後、藩内を混乱させたとして平田も1865年11月11日に斬罪)

この史実をふまえて考えると、「勝井殿ぉぉぉぉ!」と号泣する平田の胸中は、実は見えるリアクションとは反対だということになります。

これをふまえると、冒頭の「おおごっちゃー!」の意味するところも変わってきます。

「あの抜刀斎を捕まえた⁉(だから駆け付ける)」というニュアンスから
「抜刀斎が捕まった⁉(裏切りがバレる!)」というピンチの描写に変わります。

なぜ、大友監督はこの「勝井騒動」をオープニングで描いたか。

『るろうに剣心 最終章 The Beginning』では、以下の4つの裏切りが描かれます

①飯塚の裏切り
②巴の(剣心に対する)裏切り
③辰巳の巴に対する裏切り
④巴の(縁に対する)裏切り

いずれもストーリーを大きく動かす出来事となっています。

『The Beginning』の根底には常に誰かの “裏切り” がある。
そう考えると、勝井に対する平田の裏切りは⓪とも言える出来事であり、ストーリーにきちんと関連している要素であることがわかりますね。

シーンから読み取る「作品設定」

オープニング(対馬藩邸)に続いて描かれるのは、

①新選組の登場(対馬藩邸の見分)
②剣心の “清里殺害”(シリーズ第1作『るろうに剣心』より)
③桂小五郎登場(暴発寸前の討幕派志士たちと、池田屋事件のキーパーソン・古高俊太郎)
④剣心の奇兵隊入隊(高杉晋作と桂小五郎)

この①~④はそれぞれ、

①剣心を追っている新選組(状況)
②剣心の不安定さ(設定)
③倒幕に焦れる長州(背景)
④上に立つ桂小五郎の覚悟(設定・「神輿」の伏線)

の説明となっています。

剣心の「1つ目の傷」

桂小五郎のセリフにもあるように、剣心は「人斬りという今の自分に迷いを感じ始めている」状態にあります。
清里の殺害によって、“自分のしていることの矛盾” に気付いてしまったからです。

人々の幸せのためには新時代が必要。
新時代のためには幕府の世を終わらせなくてはならず、そのために幕府側の人間を斬っている。

しかし、幕府側の人間にも当然「大切な人」はいます。
大切な人(巴)のために「死ねない。死にたくない」という清里の執念は凄まじく、剣心の頬に傷を残します。

剣心に染み付く「血の臭い」

清里殺害の翌日。刀を抱えたまま、浅い眠りから目覚めた剣心は、小萩屋の入水屋(川から水を引き入れた水場)へ直行します。
仲間の誰とも挨拶どころか視線も交わさず、手を洗う。

よく見ると、その洗い方が何かをこすり落とそうとするかのように入念なのがわかります。
しかし、映像を見る限り、手は汚れていない。

のちに同様に手を洗うシーンが、実際に人を斬った後、その血を洗い流すシーンとして挟まれます。このことから、剣心が毎朝洗い流しているのは血の臭いであり、臭いの染み付くほどの人数を斬ってきたことが推察できます。

血の雨の降る夜の「予感」

ある晩、剣心は酔っ払いに絡まれた女(有村架純)を救います。
彼女こそ清里の「大切な人」=巴です。
闇乃武との戦いを目撃してしまった巴はその場で卒倒し、剣心はやむなく小萩屋へと連れ帰ります。

これほど不吉で美しい “運命の相手” との出会いのシーンは、珍しいのではないでしょうか。
たぶん、ハッピーエンドでは終わらない。このほのかな不幸の予感も、観客を惹きつける要素になっています。

ついつい剣心と巴ばかりに目が行ってしまいますが、この短い出会いのシーンにも、作品の設定、背景を伝えるヒントがふんだんに隠されています。

スクリーンには映らない「味覚」で見せるシーン

ひとり酒を飲んでいる剣心の表情は、文字通りの「無表情」。
まずいわけでも、おいしいわけでもない=「味がしない」のではないかと想像できます。

これは小萩屋での食事シーンとも繋がる描写です。
人は食べなくては生きられません。だから剣心も食べてはいますが、決して味わっているわけではない。
人の命を奪ううち、自分が生きているかどうかさえ怪しくなってしまった。そんな不安定な状態であることがわかります。

そこに挟まれるのが、回想シーン「1年前の奇兵隊入隊」です。

剣心の無口な様子は同じですが、
桂と高杉のシーンの合間には、不慣れながらも仲間たちと笑って酒を飲みかわす様子が挟まれます。

奇兵隊が組織されたのは1863年。池田屋事件は1864年。
わずか1年足らずの間に、剣心は表情を失うほど病んでしまったということになります。

巴も剣心同様、表情の乏しい人物として登場します。
たとえ “血の雨” の降る中であっても、無表情のまま
死体を前に幽霊のようにたたずむ姿は、剣心と同じく生きているかどうかも怪しい状態にあることを表しています。

巴に絡んだチンピラの “幕末ジョーク”

飲み屋で巴に絡んだチンピラ。彼は堂々、「会津藩預かりの勤王の志士」を名乗ります。
しかし、「会津藩は幕府側だ、ばか」とつっこみの入る通り、これは「お坊さんがアーメン」レベルのデタラメです。
(さすが『龍馬伝』の大友監督ならではのジョークですね!)

一方で、政治に興味のない人々もいた=志を持つ若者ばかりではなかったというリアルさの表現でもあるように思います。

現代の選挙でも、熱心な若者もいれば、無関心な若者もいますよね。
熱心な若者にしても、政党を心から支持している人と、ただ何かに参加したいだけの人、宗教的事情から支援している人……と事情はさまざまです。

こういうディティールの細かさが、やっぱり大友組(制作陣)のすごいところでもあります。